看取り・スピリチュアルペイン・ソーシャルキャピタル
- kinugasa0
- 2022年1月20日
- 読了時間: 2分
主任ケアマネジャーさんを対象とした研修の中で、「看取りとスピリチュアルペイン」について、お話をさせていただく機会がありました。
私はスピリチュアルペインを、「存在の喪失への痛み」ととらえています。単に身体機能的なそれではなく、主体としての存在の喪失としての「死」に対する痛み、という意味です。
私は現象学に礎をもつ「間主観性」の立場に立ちますので、存在の損失への痛みを「関係性」からとらえます。フッサールの言う「前提としての大きな存在への流れ」から、相互作用関係の結果立ち上がってきた「個人」が、また「大きな流れ」へと還ってゆく、そのプロセスを「看取り」ととらえたいわけです。
このように、「かかわりあいの中での死」という観点に立ったときに、昨今言われる「ソーシャルキャピタル」、つまり私たちの暮らしの中に内在している関係性の可能性が惹起されてきます。さまざまな人々とかかわりながら、ひとつの「響きあう死」として、その方が亡くなっていくプロセスに寄り添うことが、「看取り」を支える専門職のあり方ではないか、というお話をさせていただきました。
皆さんたいへん熱心に聞いていただき、「今まで看取りは医療に任せればいいと思っていたけれど、福祉の立場からの看取りのあり方を考える必要に気づきました」「自分たちにも看取りの場面で出来ることがある、またそれを達成してゆく必要が、専門職としてあるんだと言うことを学びました」など、肯定的なリフレクションを多くいただいたのは、講師として僥倖でした。
援助関係を考えている人間として、「死に行く人々への援助」は、ある意味で究極の事例です。多くの方々と議論しながら、そこでの「かかわりあいの可能性」について、これからも論究を進めていきたいと考えています。
小松美彦先生の著書に「死は共鳴する」という名著があります。古典に近いですが、ご関心のある向きは是非ご一読されることをお勧めします。






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